【Volunteer】ボランティアという言葉の欠点

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「ボランティア」という言葉の意味

「ボランティア」という言葉の意味をご存知でしょうか?

検索してみると「自分から進んで社会活動などに無償で参加をする人」と出てきます。

 

私自身、「ボランティア」という言葉は一人ひとりの価値観や考え方によって捉え方が異なるものだと思っています。

 

きっと世の中のほとんどの人が「無償で人を助ける行為=ボランティア」であると認識しているように思えますが、

実際にはどこからどこまでが「ボランティア」であるのか定義づけられているものではないですよね。

 

 

私はここに疑問を感じました。

 

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「ボランティアなんてだるいしダサい」

私の学生時代の話。

友人のAちゃんギャルでした。

 

勉強嫌いでよく先生に怒られるような子でしたが、

とてもオシャレで、友達にメイクを教えてあげたりしていました。

 

しかも私はAちゃんと同じバイト先で、勉強は苦手だけど仕事はとてもできる子だったんです。

 

また、誕生日には必ず率先してパーティーをしてくれたり

少しクラスで浮き気味だったギャルのAちゃんは同じく浮いているような子たちを助ける場面も多々ありました。

 

先生や周りの子はギャルのAちゃんを「どうしようもない」と言っていたのですが、

私自身はAちゃんにたくさん助けられていたのです。

 

 

しかしここで疑問です。

 

 

Aちゃんは私が主催しているボランティア活動で人が足りないと、休みの日でも来てくれました。

また放課後の帰り道、お年寄りを見つけると「可愛い〜」と言って話しかけたり、手伝ってあげたり・・・

 

別のクラスの仲がいい友達がいじめにあっていると助けに行ったり。

そんな彼女のことを私は、とても「勇敢」で、ボランティア精神があるなあと思っていたんです。

 

しかしAちゃんはそれを「否定」しました。

 

 

「ボランティアなんてだるいしダサい」

 

 

きっと照れ隠しなのですが、それは彼女の本心でもありました。

 

 

実際、私もそのような経験がありました。

 

中学生の頃ボランティアに目覚めてから部活動を一切やっていない私は、よく初対面の人に「部活何やってました?」と聞かれると、答えるのに勇気がいるんですよね。

 

本来自分は「楽しい人」と見られたいのに、ボランティアをやっていましたというだけで「意外と真面目なんだね」と言われてしまうからです。

自分の活動を恥じたことはありませんが、実際「私とはノリが合わないな」とかそう思われるのも事実でした。

 

きっと、Aちゃんも同じでした。

 

これが「ボランティア」という言葉に植え付けられた、様々な価値観のある印象です。

 

見方を変えるとこのようにも見えました。

 

クラスメイトは「私」と「Aちゃん」が同じようなことをしても、私の活動は「ボランティア」に見えるのに、Aちゃんの活動はそうは見られない。

しかしこれ、私が見る方だとすると、どちらも「ボランティア」に見えます。

 

面白いですよね。

私には経験と知識があり、自分が作った「ボランティア」という価値観と印象からそう見えます。

しかしクラスメイトは「無償で、人を助ける行為」という教科書通りの価値観しかないために、Aちゃんが「ボランティアをしている」とは見えないのです。

 

これが世の中にボランティアが広がらない盲点であると私は思っています。

 

私はAちゃんをとてもボランティア精神がある人だと思いました。

 

それは人に尽くそうという思いや、行動が確かにそこにはあったからです。困っている友人を助けたいとか、これをしたら相手が幸せな気持ちになってくれるだろう、とか。

 

 

先生。

 

思春期の肌荒れに悩むJKにメイクを教えてくれたAちゃん、御老人の話し相手をしていたAちゃんは本当に「どうしようもなかった」のでしょうか?

「人を助けたい」という思いがAちゃんの中には確かにあったのに、「ボランティア」という言葉が与える印象のせいで、Aちゃんの行動は制御されていました。

 

そしてAちゃんは「ボランティア」=真面目で恥ずかしいものだと思っていました。

 

しかし私は自分がやっていた地域活動や、募金活動、交流会、ワークショップなどと、Aちゃんがやっていた事柄に違いがあるとは思えません。

 

たとえ規模が違ったとはしても、どちらともそれは「一人の人のために行った行為」だと思うからです。

 

Aちゃんが行っていたことはどれも素晴らしいものでした。

しかし、そこにはたくさんの偏見がありました。

 

じゃあ、ボランティアって結局何なんでしょうか。

 

いつも誠実で真面目で頭も良くて奇抜な服を着ないでナチュラルメイクをしている人が、

土日の昼間に笑顔で楽しそうに環境の事を考えながら国に貢献できる事を無償でする事?

 

なんとなくそれって、ただのパフォーマンスでしかなくない?なんて私は思いました。

 

ボランティア団体はよく「もっとボランティアをする人を増やしたい」とか「この活動を広めたい」と言うけれど、

その団体にいる人は全員同じような人で、活動も誰もが好き好んでやりそうと言うよりはある一定の人が興味を持ちそうなものしかないのです。

 

つまりは私は興味持ちそうだけどAちゃんは持たなそう。

 

「ボランティアをする人を増やしたい」の言葉の裏には、「自分たちと似たような人で、同じ考えや価値観を持った、融通が利く人」って言う要素がある気がします。

 

企業だったら正しいでしょう。

 

しかしボランティアというものは、「全国民」つまりギャルのAちゃんから生徒会長までが関わるものでなければ意味はありません。だって、人助けに「こういう人でなければいけない」という条件はないのですから(特殊な問題を除いて)

 

つまり私たちがなぜ「ボランティアをもっとして欲しい!」と思うのかというと、人々がいつか相手のことを思いやるのが普通になって豊かな社会にしたいと思っているからであり、

 

ボランティア団体」がなぜ存在するのかというと=今はまだ全国民がそういう人ではないから、自分達が率先してやって広めていこうという意味もあるからですよね。

 

ならば私たちの使命は、

私たち(ボランティアをする人)以外の全ての人々にボランティアを広める事なんです。

 

だから私は、

 

  • ボランティアという言葉の印象を変えたい
  • ボランティアという活動の概念を変えたい

 

と思っています。

 

ボランティアとは規模に限らず誰もが常に当たり前にやっている行為である、

誰も人助けを恥じないようなそんな行為であったら良いなと思います。

 

今あるこうでなければいけないという「ボランティアの概念」を壊しませんか?

例えばSNSを使って誰かの相談を聞くことも、困っている事をRTで拡散してあげることも人助けであるように、そんな小さな事にだって「ボランティア」という言葉が使えたら良いな。

 

だってそれは、大人にはできなくてもJKだったら得意なボランティアかもしれない。

 

なのに私たちは、従来のやり方以外のものをボランティアであるとは認めない。

 

ボランティアを止めているのは実は、ボランティアをしている私たち自身ではないでしょうか。

 

 

マザーテレサは言いました。

 

世界平和のためにできることですか?

家に帰って

家族を愛してあげてください。

 

 

大きな事をして欲しいわけではありません。

ただ私たちは電車で席を譲る人が少しても増えたら良いなと思うのです。

 

 

それはたった一両の車両の中で起こる出来事。

だけどその中にはサラリーマン、妊婦さん、障害がある方、学生、夜勤明けの人、子ども達、外国人、御老人、疲れている人、体調が良くない人、本当に様々な人がいるのです。

 

その小さな世界でただ「ボランティアをしてる」私たちだけしか、誰かを思いやり席を譲れないのか、それともそこにいる全員が目の前の相手を思いやる事ができる世界を作っていくのか・・・

 

 

パフォーマンスをいつまでも繰り返したって目的は達成されない。

 

 

今、この瞬間も、

 

世界の片隅では何かが起こっています。

 

 

毎日の自分の生活にちょっとのボランティアをプラスするだけで、私たちの世界はより豊かになるはずです。

 

もしあなたが今何か不満があるのであれば忘れないでください。

 

 

この国を作るのも、この国で生きていくのも私たちです。

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

少しでも私の思いが届いたのであれば、またあなたも誰かに伝えてみてください。

 

written by kanako

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